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軍艦島と長崎と沈黙

軍艦島と長崎と沈黙

category: Apple, Books, Walk

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Sep,30 2011 4:30 PM

軍艦島全景

2泊3日で長崎へ行ってきました。
面倒くさがりで、旅に出ても行き当たりばったり人間ですが、今回は事前にキッチリ下調べをする。
かなりのハードスケジュールとは云え、濃密な時間を過ごせました。

相方さんのリクエストにより長崎へ行く事になった訳ですが、丁度その時分に遠藤周作の
沈黙(新潮文庫)』を読んでいたのと、軍艦島に興味があったのとで、ではと云う事で生まれて初めての長崎へ。

Day 1

長崎空港から市街に到着し、30分くらい後にはもう長崎の街に魅了されていた気がする。
山の斜面に建てられた家々の風景に圧倒されて、よーく見ると、一軒一軒が、妙にお洒落な作りだったりする。
1970年代っぽい様な雰囲気と洋風、和風が積み重なる様に混じり合って上へ上へと伸びていく様は横浜あたりともどこか異なる風景。
周りに山がない地域に住む自分にとってはなんとも不思議な光景でもある。
どんな街に住んでみたいと聞かれたならば、自分としてはこう云うところなんだなと思う。

初日は出島あたりから観光通り、眼鏡橋のある川沿いを歩き、サント・ドミンゴ教会跡を見てから歴史民族博物館横の防空壕へ。
そこからお目当ての一つであった、日本二十六聖人殉教地へ。
今思えば路面電車でさっと行けば良かったのだけれども、無駄に歩いた末に到着。

日本二十六聖人殉教地 1

日本二十六聖人殉教地 2

背教を迫られた切支丹の人々の、苦痛と苦悩は想像を絶する。
この地で悲惨な殉教があった事実と目の前の美しい景色に何か切なさすら感じる。 『沈黙』の中のキチジローのわめきを思い出す。

「この俺は転びものだとも。だとて一昔前に生まれあわせていたならば、善かあ切支丹としてハライソに参ったかもしれん。こげんに転び者よと信徒衆に蔑されずすんだでありましょうに。禁制の時に生まれあわされたばっかりに・・・・・・恨めしか。俺は恨めしか」

苦境に立たされた時に自分はどうするだろう。
キチジローの様な弱い人間を蔑む事はできない、自分だってそうかもしれない。
先の地震で真っ先に逃げた人や、買い占めに走った人々をも責めてはいけないのかもしれない。
そんな思念に捕われつつ、殉教していった切支丹の人々には只々、頭が下がる思いである。

それから気分を変えて中華街へちゃんぽんを食べに行くも、どこも準備中。
仕方がないので、名物の角煮まんじゅうを食べつつ大浦天主堂へ。

大浦天主堂

日本二十六聖人に捧げられたと云う、日本最古のキリスト教建築物は原爆でも焼失しなかったとの事。
内部の作りも素晴らしく、キリシタンでなくとも懺悔したくなる様な雰囲気。
しかし生憎、教員を含めた修学旅行生のマナーの悪さにより気分を害される。
しかししかし、神の家なので、程々に押さえる。

それから、大浦天主堂のすぐ上にあるグラバー園へ。
スカイロードで上に行くと、長崎市街が見渡せる絶景。
東山手も長崎港もよく見える。
来て良かったとしみじみ思った。

長崎港

初日の締めは長崎最古の喫茶店と云われるツル茶んにてトルコライスを頂く。
歩き過ぎで既に足やら腰やらに激痛。
出発する前に関東は肌寒かったのに、こっちへ来たら真夏の様でその中を歩き回ったので疲労は倍。

Day 2

2日目は一番のお目当てである軍艦島(端島)へ。
が、メインイベントの前にまさかのハプニング。
何気なく写真を撮ろうとした瞬間にiPhoneが落下し、見事なまでにガラスが破損。
気分を持ち直すのに時間がかかる。と云うか今もiPhoneを出す度に憂鬱になる。

iPhone3Gのガラス破損

無惨なお姿...。
どちらにせよ、iPhone5待ちだったから、よくもまぁこの時期まで3Gで保ってくれたと云うべきか。
なんでも良いから早く発表して欲しい。

とにかくもかくにも軍艦島クルーズ船『ブラックダイアモンド』に乗船し、いざ軍艦島上陸ツアーへ。
こちらの船が一番早い上に途中の高島にも上陸できるとの事で、いささか船酔いを心配していたので、まよわずこのツアーをチョイス。
ガイドしてくれた、いい男風なおじさんはかつて軍艦島に住んでいたらしい。
海底炭坑で栄えた島と云う漠然とした知識と廃墟興味で今回訪れた訳だけれども、国のエネルギー政策の転換によって離島を余儀なくされた人々、緑のなかった炭坑の島から無人になったおかげで緑が増えた現状などなどの訴えは胸を打つものがあった。
かつては繁栄し、自分や島民の普通の生活があった島を廃墟目当てで来る観光客、それを観光資源にしている者側としての複雑な胸中も伝わってくる。
ガイドさんは声を大にして云う、国のエネルギー政策によって福島でも同じ様な事が起こっているのだと。

軍艦島

あっと言う間の2時間のクルーズから戻ってくると、顔やら腕やらが日焼けしまくり。
腹ごしらえにようやくの長崎ちゃんぽんを中華街で頂く。
それから早々に浦上方面へ。
平和公園へ訪れた後に浦上天主堂へ。

浦上天主堂

被爆マリア像を始め、原爆によって被害を受けた数々のものが実に生々しく保存されている。
教会堂の横の広場で子供達と喚声を上げながら遊んでいるシスターや、売店の大変にやさしい顔をしたシスターに打たれた心を和まされる。

そこから、原爆資料館へ行った後に長崎原爆落下中心地へ。
原爆を落とされる前の浦上天主堂の遺構は凄まじい。

浦上天主堂2

すぐ側には長崎原爆落下中心地碑。
1945年8月9日 午前11時02分に500m上のこの空で原爆が炸裂した。

長崎原爆落下中心地

神の沈黙と云うテーマがここでも考えさせられる。
被爆された方々には非常に心を痛めるが、昨今の原発反対運動の流れに疑問を持っている自分もいる。
現状の日本に抑止力がなくなった時の事を考えると、どうしても理想論だけでは片付けられない。
福島の事で感情的になるのは仕方ないし、軍艦島同様に国の怠慢によって故郷を離れなければいけない沈痛な様は当事者ではない自分でも少しは分かる。
しかし、この資源の乏しい日本で周りの物騒な国々とも付き合っていかねばならぬ事を考えると、結論は簡単には出ない気がするのだ。
確かなのは、今回の旅でより深く考えるきっかけが与えられた事かと思われる。

それから被害を受けた山王神社と一本柱を見に行く。
爆心地からほど近いこの地にそびえ立つ楠の生命力の強い事に感動する。
本日も歩き続けでぐったりしていたものの、気合いを入れて稲佐山へ。
薄暗がりの中をロープウェイで頂上の稲佐山公園へ。
日本の3大夜景の一つなのだそう。
確かに山の斜面から落ちて下にたまっていく様な街のあかりが素晴らしい。

長崎夜景

が、どうも最近高所恐怖症がひどくなっている様子。
そこらの階段の昇り降りだけで足がすくむ事も多いので、相当な冷や汗をかく。
ようやく地面に着いた後、アーケード方面を食事処を探すべくうろうろする。
雰囲気が良さそうな店ばかりで悩みつつ、トルコライスの元祖のお店に辿り着くも店じまいとの事。
この時点で20時半くらい。そこらのお店もどんどん閉まっている。
仕方なく海辺の出島ワーフへ行き、最終的に何故か浜勝のとんかつで夕食。
こちらの方はやっぱり薄味なようで、ソースが関東のこってりしたのとは違う。美味かったけど。
それから何故かこっちのコカコーラの500mlペットボトルが異常に美味い。
暑いからとかって云うのではなく、後味が全然違う。
水の違いなのかなんなのかは分からないけれども、とにかく美味かった。
22時頃にホテルに戻ると完全なる疲労で早々にダウン。

Day 3

3日目は行きそびれた所を回って行く。
先ずは東山手へ行き、東山手洋風住宅群と孔子廟へ。
洋風のすぐ横に思いっきり中華なので、実に不思議な光景。
それから、寺町通りの方へと路面電車で移動し、隠元禅師の興福寺から寺町通りを歩く。
国宝の崇福寺に行ったあたりで雨に降られるも、そのせいか人が少なかったので快適。
昼には皿うどんを求めて思案橋の方へ行くも、行きたかったお店は残念ながらお休み。
水、木曜あたりはあちこちのお店でお休みしているらしい。
と云う訳で、前日に店じまいされてしまったトルコライスのお店のボルドーさんへリベンジ。
こぢんまりとした店内は雰囲気も良く、かなり落ち着く。
待っている間にPink Floydの"One Of These Days"が流れたりと、店主も音楽好きっぽい感じなのがまた良い。
お味の方はやっぱり薄味だけれども美味。
雨も止まないし、大体行きたいところは行ったので最後に予定外の長崎美術館まで寄る。
あと数日遅かったら横山大観とかを見られた様子。
今回は美術館のコレクション展のみでいささか残念ではある。
須磨彌吉郎が収集したスペイン美術作品はなかなか素敵だった。
エル・グレコの『キリストの磔刑と2人の寄進者』もこちらの美術館にあるとの事ですが、今回は展示されておらず非常に残念。
是非、直に見たかった。

※ 長崎美術館収蔵ではなく、国立西洋美術館の収蔵らしい。
長崎美術館では2005年に「よみがえる須磨コレクション スペイン美術の500年」にて展示されたとの事。

そんなかんなで程よい時間になったので、市街を後にして長崎空港へ。
羽田に着いたのは21時頃。体のあちこちが痛い。
しかし、これほど旅を楽しめた事もそうそうなかった気がするくらい充実したものだった。
長崎と云う街の歴史の深さゆえに魅力も多いのであろうと、妙に納得している。
普段、見慣れないものを見て刺激を受け、おぼろげだった知識が深められて色々と開眼させられた事は大きな収穫であった。
そんな今日この頃。

どん底